代表の想い

VOICE代表の想い

マルノが目指すもの、マルノが地域と皆さんに貢献したことをお伝えさせていただます。

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内館 茂

MESSAGEあなたの1日が、マルのあふれた
幸せに包まれるように。

はじめまして。株式会社マルノ(旧丸乃タイル)社長の内舘茂です。

マルノは盛岡・岩手で商いを続け、地域の皆様のおかげで創業90年を数えることができるようになりました。
そんな会社の3代目として新しい成長と地域への貢献を実現するために日々邁進しております。

その90年の中には、紆余曲折の物語と様々な人たちの想いがあります。
改めて、マルノに興味を持っていただいた方、以前からマルノを知っていただいていてご愛顧いただいている方、多くの方々にマルノのこれまでの歩みとこれからの決意をお話できればと思っております。

そして、私たちマルノは、「あなたに、マルのあふれる暮らしを」をコンセプトに、盛岡・岩手に住まわれる皆様へ誠実かつ徹底的に寄り添った対応・提案を通して、よりあなたらしい暮らしづくりを実現するパートナーになれることを目指しております。

お客様と誠実な関係性を築かせていただくためには、まず自分から腹を割ったコミュニケーションを行うことが大事だと、私たちは考えております。
だからこそ、マルノと私が歩んできた道、そしてこれから歩んでいこうとしている道について、皆様に知っていただき、誠実なパートナーの一歩目を感じていただきたいと思います。

マルノとは?

株式会社マルノは、丸乃タイルという名前で2020年まで約90年の間、盛岡・岩手を拠点に営業を行ってきました。
コロナウイルスが社会の様相を変化させたことをきっかけとして、2021年に事業と組織を再編し、新しい社会における新たな成長を目指して株式会社マルノと社名変更いたしました。

※2022年中の本社リニューアル予定の新社イメージイラスト

マルノの始まりは、私の祖父である内舘登が、盛岡ではじめてのタイル職人として大通で創業したことだと聞いています。
祖父は、盛岡のシンボルの一つでもある岩手県公会堂のタイル貼りを行った職人で、盛岡への愛情が人一倍強い人でした。
マルノの旧名である丸乃タイルも、祖父が地域のお祭りに半纏を着て参加しようとしたときに、背中に内舘登の「の」の字を丸で囲って書いたところから始まっています。
地域の人たちと交流し、地域の文化を大切にしていたから、その半纏の文字をみて多くの方々が「マルノさん」と呼びはじめたことが、名前の由来になっています。

元々はタイルを専門にした販売と職人による作業を行う会社だったのですが、私の父の代で「販売」に力を入れていくことを決め、住宅設備やとりわけ水回りの商品に強い問屋として成長していきました。
その時代のトイレなど水回り設備はタイルを用いるケースが多かったため、マルノの力を発揮しやすかったのです。

当時は、水回りの商品などは取り付ける際の専門性が高く、ただ買うだけでは取り付けることが難しい時代でしたので、
マルノのような専門知識を持った問屋が必要とされていました。その中でもマルノは岩手県内唯一のTOTOの特約店として認められ、県内のTOTOの商品の販売と工事を全て請け負ってきました。
この時代は、メーカーの力が強かったこともあり、地方の商売としては有力メーカーの特約店になるという方法は、とても成長性のある戦略でした。

しかし、時代の変化と共に、マルノ自体も変化を求められるようになりました。

マルノとわたしの挫折

私は、丸乃タイルの三代目として生まれました。

子どもの頃は悪ガキだったため、よく学校の先生に怒られていました。
杜陵小学校始まって以来の問題児と言われていたそうです……。

通信簿の「みんなと協力して物事成し遂げることができる」「人と仲良くできる」といった項目はほとんどC判定、つまり最低点をとってしまうような子どもでした。

ですが、今でも恩師として交流がある杜陵小・下橋中の先生方との出会いと指導があって、少しづつ周りの人の気持ちを考えたり、自分のモヤモヤとした気持ちの伝え方だったりがわかるようになってきたような気がします。今の自分につながるものが、このときにつくられていったんだなと思います。

周りの気持ちが考えられるようになったことで、自分も周りから認めてもらえるようになっていき、それが目標に向かって進む力を与えてくれました。受験期には精一杯勉強し盛岡一高に入ることができ、大学進学もかないました。

これくらいから、自分をマルノの後継として考えるようになりました。
マルノを継ぐことを前提に、どういう風に自分を磨かないといけないか、どう成長するべきかを頭の片隅に置くようになったことを覚えています。

内舘茂

いきなりマルノに入社して次期社長候補としてキャリアを積んでいくのではなく、まずは広い世界・規模の大きなビジネスを知ることが大事だと思い、マルノとも縁があるTOTOに入社しました。
マルノが特約店だったこともあり、まずその根幹になっている会社に入って、ビジネスを学ぼうと思いました。

3年ほど経験を積んで盛岡に帰り、マルノに入社することになりましたが、メーカー側で経験を積んだことで、私の中で一つの考えを強く持つようになりました。

「特約店というビジネスだけでは、これからの成長は難しい」。

この当時、マルノが得意としていた水回り設備をはじめとして、住宅設備のメーカーが多く出始め、かつ取り付けも簡単できる商品が増えてきている状況でした。
そのため、問屋を介さずメーカーから直接買い付けを行う会社も増えてきて、問屋不要論のようなことも言われるようになっていた時代です。

時代が変われば、事業も変わらないといけない。
私はマルノに入社したばかりでしたが、そのような危機感を深めていきました。

数年間、社員としてマルノに勤めていましたが、わたしが30代半ばになった頃、父が病気になり、急でしたが、私が社長として就任することになりました。
先述した危機感もあったことから、取り扱い商品の範囲を広くして、とにかく様々な仕事を受注するよう努力しました。社長になったこともあり、会社をより大きくしていこうと思っていたのです。

父の病気が回復し、再び経営にも戻ってくることができるようになると、私と父の間で経営理念の違いがあることがわかってきました。
当時の私は、リスクをとってでも会社を大きくしていかなければ生き残っていけないと思っていて、父はリスクを少なくし会社として生き残れる範囲で続けることを目指していました。

今振り返ってみると、父のやり方も一つの方法として価値があると思えます。
会社にとって最もダメなことは、会社が潰れてしまうことです。例えば融資を受けて、安易に事業拡大し、体制が整わないまま人を多く雇うと、借金は増えていきます。
会社が生み出せるお金を借金が超えてしまったときに、会社は潰れます。
父は、そういったリスク回避を一番に考えていたのだと思います。

ですが、私は時代の変わり目には、リスクをとってでも会社も変化成長を進めていくべきなのではないか、という強い思いがありました。

何度も議論を重ねましたが、その時は私がマルノを去るという結末になってしまいました。
とても悔しく、拭えない程の辛さを味わったことを今でも思い出します。

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